頑張れ!石川洋平選手



  静内町出身のソフトテニステニスプレーヤーは数多く、女子では福田香織、佐々木恵、高木志帆、
上水純子と多くを輩出しているが、男子では野田などの数人がいるもののその名を高めているのは、
石川洋平選手だけである。

 私との思い出は、平成3年8月、石川選手が小学校6年生の時、この年に開催された第8回全日
本小学生ソフトテニス選手権大会で優勝したことにつき、当時、企画課広報係長で「広報しずない」
の編集を担当していた私が取材をした。

 石川選手は、個人戦で日本一になったので、日本一の笑顔を撮ろうとカメラを構えたが、相棒の
高木敏也選手は、直ぐに満面の笑顔で応えてくれたものの、石川選手は何分経っても笑ってもらえ
ず、何度も仕切り直しをして、ようやくの思いで一枚の写真になったことを覚えている。

 当時、小学生なのに既に自分というものを持ち合わせ、大人相手でも簡単には自分の意思を曲
げない大物ぶりを見せていたので、この子はその辺の子どもとは一味違うものを持っていると感じ
たが、私のカメラマン人生の中でもカメラを向けて最も笑わなかった男でもある。

  そして、もう一つの記憶、それはとてつもなく強かったという印象である。大体において小学5年
生の時、第7回全日本小学生ソフトテニス選手権大会で同じ高木と組んで準優勝していることから
も、その
実力が伺われるが、当時、静内町ソフトテニススポーツ少年団で指導に当たっていた広島
義清監督が私に「この子たちは、6年生になってから一セットも落としたことがない」と自慢気に話し
ていたことを覚えている。

  恐らく静内町出身の歴代ソフトテニスプレーヤーの中でも、最高の素質とセンスがあったと思わ
れるが、その後、あの名門、奈良県高田市立高田商業に進学したことでも推察できる。今でも静内
町ソフトテニス父兄間で、「とにかく石川は、別格に上手かったそうだ…」と語り草になっている。

 



 「広報しずない」〜1991.10月号